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劇評家講座オープンカフェ「金森穣さんと語る」 [日記]

11/25(日)に高円寺の座・高円寺、シアターアーツの劇評家講座オープンカフェ「金森穣さんと語る」をみてきました。
インタビューの詳しい内容はこれから出る「演劇批評雑誌シアターアーツ」に詳しく載るそうです。
会場は地下の稽古場。
小さな稽古場にいすが並べられ、金森穣さんと聞き手の坂口勝彦さんが並び、向かい側に観客が座ります。近い……少人数で話が聞けるなんてすごい贅沢。

金森さんが芸術監督を務める、新潟りゅーとぴあのレジデンシャルカンパニー・Noismは、設立してもう9シーズン目を迎えます。そしてカンパニーの活動を続けるために9シーズンたってもまだ戦っているのはすごい。金森さんが後に続くものが居ない事を嘆いてらしたが、そこまでのことをして生活と創作の自由を手に入れる活力や決意のある人は、そういないんじゃないかな。
ここら辺の話は、だいぶんオフレコも混じり、金森さんの苦労や悔しさがひしひしと感じられました。

しかし今回、私はすごく聞いてみたい話がありました。それはベジャールさんの学校に入った頃の話。ちょうどその話をしてくれて、とても興味深かったです。
それというのも彼のパートナーの井関佐和子さん、大好きなダンサーなのですが、彼女のインタビュー(http://bit.ly/XrOo7z)を読んで、彼女の海外活動時代の話で、常に前にいた伝説の男(笑)である金森さんの話を読んだから。いつか金森さんの側からの話を聞いてみたいと思っていたから、それを聞けたのは楽しかったです。

金森さんがルードラ・ベジャール・ローザンヌに入った時、ドンさんのことダンスマガジンの表紙とかで見て、「何でこの人上半身裸なの?」って思うくらいコンテの事知らなかったって話には笑いました。そうだよね、クラシックばりばりだったんだもんね。そして言葉も通じないし。カルチャーショックだったというのもわかります。でも「あの時ベジャールに会わなければ、今の自分はない」と言っていました。いろいろな国の人が垣根なくそれぞれの特色を生かし学んでいったんですね。

ここで余談ですが、ベジャールさん、本当はルードラをドンさんに任せる心づもりだったらしい。
なのに彼がなくなってしまった。それで最初の一年はベジャールさんが学校で色々教えてくれて、それで金森さんはベジャールさんに直に教わることができたそうですよ。ドンさんが生きていたら……どんな学校になったんだろうなぁ?

さて、金森さんがルードラを卒業するときに、空きがなかったからベジャールさんのところへ残ることが出来なかったという話を聞きました。じゃあどうしたかって言うと、当時生徒たちに人気があったのは、圧倒的にキリアンだったそうです。そこで金森さんはワークショップに出かけて、キリアンの目にとまりネザーランド・ダンス・シアターⅡへ。みんなのあこがれのカンパニーに、ワークショップ行って決めてきちゃうって……さぞかしみんなにうらやましがられたか(笑)しかもあんまりキリアンのこと知らなかったというからすごい。そしてここで自分の作品が初めて売れた。作品の作り方、音楽や照明などもここで学んだといっていました。そして1に昇格できることになっても、キリアンさんがもうすぐやめちゃうと聞いて、「じゃあ居ても意味ない」とあっさりでてしまう。

そんな風に「金森穣伝説」は生まれたわけですね(笑)
ベジャールさんから感性を、キリアンさんからは実践を学んだって、そりゃ最強。
そのあとリヨン・オペラ座バレエ、ヨーテボリ・バレエの話もあり、あっという間に時間は過ぎ……
さいごはお茶を飲みながら質問コーナー。観客の熱気、すごかったです。
金森さん、今日のこのためにわざわざ新潟から来てくださったという事で、本当によかったです!!ありがとうございました!!


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